「アル中なの?」「離婚も自業自得?」堂珍敦子が明かす酒癖が酷い | 芸能スクープ、今旬ナビ!!

「アル中なの?」「離婚も自業自得?」堂珍敦子が明かす酒癖が酷い

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2004年にケミストリーの堂珍嘉邦さんと結婚し、5人の子どもに恵まれながら昨年末離婚した堂珍敦子さんが『アウトデラックス』に出演、現在の生活を語ったところ、ネットではアル中を疑う声が上がっています。もしかすると離婚も自業自得なのでは、とまで言われる飲みっぷりは…

 

 

 

 

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堂珍敦子のアウトぶり

 

現在五児を一人で育てる敦子さんは「子育てに酒が欠かせない女」として登場。

 

番組では1回11キロ分を最低2回回すといった大量の洗濯や、スーパーで肉5キロなど買い込み料理するなどの家事をこなしながら、助産師を目指して看護学校にも通う多忙な一日が紹介されました。

 

そんな中、目を引いたのがお酒との関係です。

 

[以下引用]

自宅には紙パックの焼酎やワインを常備。ロケでは「夕飯を作る前に飲んで気合を入れないと戦えない」と、レモンサワーやワインを飲みながら台所で大量の食材と格闘する姿が見られたが、実は、子供たちからは「(酒は)1日3杯」というルールが課せられているという。

 

長女によると、酔った敦子と風呂に入った際、シャワーで「冷たい雨だぁ」と水をかけられたほか、外食で17杯飲み、帰り道で何度も嘔吐。また、タクシーの中では自身のカバンの中に吐いたこともあったとか。

 

実は収録前日も「やらかしました」と敦子。看護学校の帰りに、病院で受診している子供を迎えにいくはずが、授業が早く終わったために「飲み放題」の店に行ってしまったという。「すっかり忘れていて…。帰宅して、頑張ってダッシュして迎えに行って、ギリギリセーフでした」と話したが、「南海キャンディーズの」山里亮太(41)からは、即座に「アウトです」とつっこまれていた。

[スポニチ]

 

ちょっとエピソードが酷いですね。

 

お子さんは一番大きくても2004年12月生まれですから4月から中学3年生。一番下は2014年2月生まれですから5歳。

 

その状況のシングルマザーがかばんに吐くほど飲むって。さらに、お迎えまで時間があるからと飲み放題に行きお迎えを忘れてしまうなんて。

 

ネットでは、「アル中?」「離婚も自業自得だったのかな」「そりゃ離婚するわ」「堂珍子どもたちをどうにかしてあげて」「子育てする環境じゃない」「子どもに注意されるなんてよっぽど」「これを世間に明かしても何もプラスにならない…」といった声が。

 

夕食を作りながらお酒を飲むのはわからないでもないですが、ほかは確かにちょっとやりすぎ。

 

ただ、敦子さんのSNSをみたら、特に酒太りするわけでもなし、餃子もハンバーグもキロ単位できちんと手作りし、言うほど酒浸りじゃないのでは。というか、子ども5人を育てながら酒浸りでいられるわけがないと思うというか。

 

心配なのは、来客が多いことを理由に生ビールサーバーを置いたということ。

 

しかし助産婦なったらお産なんていつ始まるかわかりませんし、お酒なんて飲んでいられないでしょうから、そんな生活も終わりがくるのでは。

 

◆芸能人の意外な前職

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堂珍嘉邦・敦子が離婚に至るまで

 

敦子さんはJJのモデルやキリンのキャンペンガールを経てCMに出だした頃である2004年6月に堂珍嘉邦さんとデキ婚、2004年12月に第一子を出産後、2006年7月号から『VERY』の表紙を務めるものの、約1年後産休に入り2007年11月に第二子出産、さらに2009年6月に第三子・第四子となる双子を、2014年2月に第五子を出産し、昨年末離婚しました。

 

離婚成立は昨年末ではありますが、不仲が噂されるようになったのはもっと前で、はっきりと別居が報じられたのは2012年4月のことでした。

 →堂珍嘉邦がケミ活動休止直後、妻・敦子が子どもを連れて別居!

 

その前年に出版した「『甘え上手』な子育て論」で、「夫は忙しくて、ほとんど家にいることはありません。私もそれを夫に期待していない。それは何も諦めているわけではなく、大事な部分はそこじゃないと思っている」と語り、現実に堂珍さんはご近所でも目撃情報が少なく、家庭にいなかったのは確かなよう。

 

しかし、別居後第五子が誕生したため夫婦仲は修復されたのかと思いきや、その誕生直後に離婚が報じられ、双方が否定するも堂珍さんの父が週刊文春の直撃に「離婚報道にホッとした」と答えるなど、夫婦は末期状態であることが伺えました。

 →堂珍敦子、義父に嫌われていた

 

当時週刊文春が報じたところによると、仕事をしたい敦子さんに対し、堂珍さんは家庭に入ることを望み、自身は多忙で育児に参加できないにも関わらずベビーシッターを頼むことすら反対で、敦子さんは奈良の実家の母を頼るしかなかったよう。

 

[以下引用]

「堂珍の当時の事務所も、奥さんが表に出るのには反対だったそうですが、堂珍がそれを伝えても、奥さんは聞く耳を持たなかった。また堂珍は、奥さんが六本木で飲み歩いている、夜遊びが激しいと周囲にこぼしていました」(音楽関係者)

[週刊文春]

 

夫婦のすれ違いは割と最初の頃からあったようですね。

 

当時からお酒好きだったのでしょうか。

 

ちなみに堂珍さんの父は、週刊文春の直撃に対し、「性格の不一致というんか、敦子さんはちょっと性格がきつくて、嘉邦は家に帰っても、針のムシロの上にいるような状態だったんじゃないか。(離婚報道があって)正直ホッとしています」」と、結構スゴイことを話しています。

 

 

具体的な気の強いエピソードは敦子さん自身も著書で明かしており、4人の子連れでレストランで食事をしていたとき、近くの席のひとにうるさいと言われ言い返しに行ったとか。

 

夫婦のことは外からではわかりませんし、堂珍さん自身家庭を顧みなかったといいますから、一方的に敦子さんだけが悪かったわけではないでしょうが、義父にここまで言われるってすごいですよね。

 

 

◆林修先生が堂珍敦子に喝!

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